2000年12月25日。
あれから3年。
行雄のことを書くのも3回目になりました。


3年目の今日、行雄が最後に乗った船、寺泊(新潟)発、発赤泊(佐渡)行の「えっさ丸」の船内にいます。
佐渡汽船の事務員さんが覚えていてくれました。
えっさ丸の船内を見せて欲しいというと快く乗せてくれました。


16:30発なのですが海が時化てくるので16:10には出航するとのことでした。
今日は3年前とは違いとても良い天気なのに日本海はとても荒れてくるそうです。


船に乗って行雄が落ちた場所まで行きたかったのですが、行雄も佐渡までは行かなかったので停泊中のえっさ丸の甲板から花束を捧げました。
船内を案内してくださった船員さんも丁寧に黙とうしてくださいました。

3年前にきた時は、「船から落ちたらしい」ということだけだったので取るものもとりあえずという状況でした。
あの時も確実に船から落ちたことはわかったのですが、死体もないし状況判断だけだったので実感がわきませんでした。
3年経った今日、船から花束を投げてようやく気持ちのけじめがついたように思います。




死亡届を出していないので、戸籍上行雄はまだ生存していることになっています。
書面上のことはどうでもいいです。

行雄のことはこれからも一生忘れることはないですが、気持ちの整理をつけなければと思います。
たまに思い出しては泣くこともありますが、戻ってくることはないのはわかっています。




行雄は実の両親を知りません。
兄弟もいません。
養父母は行雄に優しい人達ではありませんでした。

そして最後にたった一人で旅立っていきました。
どんなに寂しかったか…
どんなに悲しかったか…

そう思うとまた涙がでます。


でも私は行雄のことを決して忘れません。
行雄もそのことだけはわかってくれていると思っています。
だから行雄がこの世に生まれてきたことは意義のあることだと信じています。





行雄は写真が好きでした。
私の写真好きも行雄の影響があるのかもしれません。


えっさ丸は夕日に見送られて日本海に出航していきました。
船が見えなくなっても港を立ち去ることができずに海に沈む夕日を眺めていました。

こんな綺麗な夕日を見たのは生まれて初めてです。

行雄が最後の旅の途中でくれた手紙に「夕日がきれいだ」と書いてあったのを思い出しました。
私にも綺麗な夕日を見せたかったのかもしれません。


夕日




行雄へ


私にくれたいろいろな思い出、決して忘れません。
どうかこれからも私を見守っていてください。





やっぱり、さようならはまだ言えない…







去年も一昨年もこの手記を読んでくださった方がいらっしゃるかもしれませんが、また同じことをまた書きます。


最後まで読んで下さってありがとうございました。
行雄がこの世に存在していたということを誰かにわかってほしくて書きました。
勝手だとは思いますが行雄のことはコメントはできないのでなにも聞かないでください。

行雄の冥福を祈っていただければうれしく思います。